本日も、こまりあ日和。

好きなことを好きな風に語るだけ

どうぶつの森は現代人とっての「田舎のおばあちゃんち」だと思う

夏になりミンミンゼミの大合唱が聞こえ始めると、何故だか都会の喧騒を離れて存在しないはずの田舎のおばあちゃんちに帰りたくなります。

「田舎」は実はファンタジー

そこそこの街中で生まれ育った私にとって、いわゆる畑があり田んぼがあり、バスが1時間に1本もこないような場所というのはどこか特別で遠い世界でした。トトロやサマーウォーズで描かれたような絵にかいた田舎なんてものは身近になくて、同じ日本のはずなのにどこまでもファンタジー
それでも物語の中に登場する田舎を見てどこか懐かしいと感じるのは、ゲームの世界などでそれらを感じていたからなのではないでしょうか。

その中の代表例の一つが、2019年3月コロナ禍の始まりに大流行した「あつまれどうぶつの森(以下あつ森)」をはじめとする「どうぶつの森」シリーズです。

確かにあの日、私は自分の手でカブトムシを捕まえた

どうぶつの森」は第1作目が2001年にNINTENDO64向けソフトとして任天堂より発売された、どうぶつたちが住む村や島に移り住みほのぼのとした生活を楽しむゲームシリーズです。村に移り住んだプレイヤーキャラクターを操作して住民たちとコミュニケーションをとったり、魚釣りや虫取りに勤しんだり、はたまた
家具やファッションのコーディネートを楽しんだりと自由気ままに過ごすことができます。

このゲーム、プレイしたことのある方はご存知かと思いますが、昔から魚や虫の描写が(その時代のゲームスペックに合わせてではありますが)丁寧で、ゲーム内で見たことのある生き物を実際に見ると「これはあの時海で釣ったスズキ……また おまえかー?!*1」と思えるくらいには区別して描写されており、小さい自分にとっては本物を自分の手で捕まえたような達成感と特別感をもたらしてくれました。
大人になり、ふと公園で聞こえるセミの大合唱に、実際にはほとんど目にしたことのないはずなのに声の持ち主の姿を自然と思い浮かべることができるのはまさに「田舎のおばあちゃんち」ならぬ「どうぶつの森」での夏休みの思い出の象徴なのかなと思います。

木々のざわめきと潮騒の音、季節や時間ごとに変化していく空模様、早起きして捕まえたカブトムシ……むせるような草木のにおいや、うだるような暑さを肌で感じてはいないはずなのに、なぜだか鮮明に思い出される画面の向こうの記憶の数々は、間違いなく現代的な形ではあるものの自分の足で自然を感じた経験です。
このご時世、なかなか対面で自然と触れ合うことのできる機会は減ってしまっております。しかしながらゲームという形でもそのエッセンスを感じることはできるのではないでしょうか。



かく言う私は、しばらく島に帰っていないため、家で出迎えてくれるであろう「あれ*2」が少々恐ろしいですが……。
みなさまも小学生の頃「田舎のおばあちゃんち」で過ごした夏休みの気配を感じに、住民たちの待つ島や村に帰ってみませんか?


*1:ゲーム内でスズキを釣った際のフレーバーテキスト。大物を狙うと定期的にスズキがかかるため、ついつい覚えてしまうフレーズ。残念ながら、あつ森では時代に合わせてか変更されている。

*2:MOTHER2のサターンバレーあたりの洞窟で出るあれ