本日も、こまりあ日和。

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それでも私は「多様性」を信じたい

元号が「令和」に変わってから早数年、世の中は半強制的に変化の時代を迎えているのかなと思います。

 

COVID-19による日本社会の強制アップデート

わかりやすいところで言えば、「COVID-19」の世界的な大流行。

2019年冬、中国で発見された新種のウィルスは瞬く間に世界に広がり、2020年春から今に至るまでその勢いはとどまるところを知りません。結局のところ風邪と同じで特効薬がないのだから共生していくしかないとか、医療崩壊が起きてしまってはいけないから引き続き自粛すべきだとか、様々な人が様々な立場から意見を発していて、世論はまだまだ一つの結論を導き出せない様相です。

亡くなってしまった方や後遺症で苦しんでいる方を思うと胸が苦しくなりますが、結果として「COVID-19のおかげ」といっても良いくらいこの数年で日本の社会は否応なしに「多様性」を受け入れるためのアップデートが行われているのではないでしょうか。

例えばそれはリモートワークという形であったり、本当は気の進まなかった人付き合いの減少であったり……。過去の常識に囚われず時代に合わせて変化していくことは、誰かにとっては今まで大切にしてきた「普通」を否定されるようなものだから必然的に反発が強くなります。けれども、COVID-19という誰のせいでもない都合の良い理由があることで、自然と変化できている面もあるでしょう。

 

「多様性」が許される世界はどこまで広がるのか

とはいえ、こうやって時代に合わせて変化できているのはまだ一部の余力のある世界の話だということを忘れてはいけません。インターネットの発達により、今まで交わっていなかった様々なコミュニティに属する人々の意見が可視化され(それでも見えてくるのは何かしら「発信」する余力のある人々の世界までだけれども)、自分の周りで当たり前だと思っていることが世の中の当たり前とは違うことを痛感しています。

まだ強制アップデートが実施されていない世界にも時代の波はゆっくりとだが着実に届いているだろうし、変化のきっかけは人手不足や業績不振といった消極的な理由かもしれないけれども、社会は少しづつ変化せざるを得ない状況になっていくのではないでしょうか。

 

私個人としては「多様性を認めない人がいることこそが多様性である」と信じているけれども、それでもやっぱり一人でも多くの人が「ありのまま」でいられる多様な社会の実現を願わずにはいられないです。

 

 

 

なんてね。